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天馬行空的言語~ 漫天飛翔的思維~ 
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【わたしの失敗】ミュージシャン、喜多郎さん

 1980年代中ごろ。

 海外ツアーにも積極的に乗りだし始めた喜多郎は、青年海外協力隊の船で中国に渡り、コンサートを開くという企画に参加した。ちょうどNHK「シルクロード」のテーマ曲を手がけ、中国を身近に感じていた。友好のきずなを深めるために「微々たる力を発揮しよう」との思いもあった。

                   ◇

 コンサート前日、上海市庁舎を訪問した。

 「良く来たね。うれしいよ」

 ニコニコ迎えてくれた当時の上海市長は、江沢民。後に国家主席まで上り詰めた大物だが、記念撮影でも笑みを絶やさず歓迎ムードたっぷりだった。

 気持ちよく迎えた演奏会の当日。会場は上海市内の体育館で3万人近く収容できる大会場だった。「シンセサイザーっていう新しい楽器の音色が当時の中国人にとって新鮮だったんだと思います」。入り口は待ちわびた観客であふれかえった。

 江沢民も楽しみにしていたのだろう。開演前に早々と来場し、着席した。そのときだ。市長の側近がやってきた。

 「今すぐ演奏を始めなさい」

 客席は半分ぐらいしか埋まっていなかった。まだ大勢が入場していない。「もうちょっと待った方がいい」と判断した。

 「それがダメでした」

 20~30分粘ったが、まだ観客は入りきらない。すると市長の秘書らしき人物が、目をつり上げて催促にきた。

 「すぐに始めてくれ」

 「いや、まだ観客が」

 「もう、市長が座っているんだ、始めろ!」

 そんな押し問答が続くうちに客席が埋まり、演奏を始めることにした。

 「コンサート会場で一番の権力者が座ったら、すぐに音が出なきゃいけないという中国のしきたりというか常識というか、それを知らなかったんですね。僕たちは市長のためではなく、市民のためにきているという思いもありましたし」

 演奏会は無事、終わったがホテルに戻るやいなや、当局にパスポートを没収された。監視され、3日間、軟禁状態が続いた。

                   ◇

 「海外に行く場合、事前にその国の習慣などを勉強しておくべきだと感じましたね」

 とはいえ、今でも思う。「音楽の前では政治家も一般の人も平等であってほしい」と。

 96年ごろ、再び中国で演奏会を開く機会があった。今度は広州。チケットは売り切れ、人気は相変わらずだった。ただ、返還前の香港から現地に向かおうとしたところ、なぜだかすぐに中国に入れてもらえなかった。結局、1週間足止めをくらった。何とか演奏会はこなせたが、足止めの理由は分からなかった。そのときの国家主席は江沢民

 「ひょっとして、まだ恨んでいるのかも…」

 ふと、あの騒動が頭をよぎった。=敬称略

 文 安田幸弘

                   ◇

【プロフィル】喜多郎

 きたろう 昭和28年2月4日、愛知県生まれ。独学でシンセサイザーを学び、55年に発表したNHK「シルクロード」の音楽が飛躍のきっかけに。2001年、「シンキング・オブ・ユー」でグラミー賞受賞。現在は四国八十八カ所の鐘の響きを曲に採り入れるシリーズなどに取り組む。10月24日に同シリーズ第3弾「空海の旅3」を発表する。
 

 ■反発心から校則違反

 喜多郎の音楽への「目覚め」は高校時代。一触即発の緊張感を醸し出すイエスや、実験的なピンク・フロイドの音作りなどプログレッシブ・ロックに強烈に引かれたという。

 同時にロック的な反発心からか、たびたび校則違反もした。

 「反骨まではいかないんだけど、けっこう反発していましたね。上から押しつけられるのは意外と嫌いで」

 たばこをポケットに隠し、バイクの無免許運転で補導され、先生に追っかけられながらディスコで演奏活動。家に帰らずディスコに泊まりこむ夜も多かった。「校長室で正座させられたり、先生とけんかしたりは日常茶飯事」。

 坊主(ぼうず)頭が義務付けられていたが、髪も伸ばし始めた。風紀担当の先生にとがめられても切らなかった。高校卒業後も、内定をもらった老舗楽器メーカーに入社せず、「仕事は自分の好きなことをやらせてほしい」と親に言い返し、演奏活動を続けることを決めた。

 「人生の座標軸はそのころから絶対ズレていたと思います」

 だからこそ今がある、とも思う。青春時代からの自分を曲げない姿勢は独自の音楽作りにも生かされ、「シルクロード」のテーマ音楽や、米国のグラミー賞の受賞にもつながった。

 「人はパーフェクトじゃないから、自分なりの生き方ができればそれはその人にとっていいんじゃないかな。ゴーイング・マイ・ウェイですよ」。こんな考えも、ズレた座標軸から見えてきた。

 ちなみに喜多郎の名は、長髪に由来する。

 「ゲゲゲの鬼太郎」の登場人物に似ていると思われたのだろう、高校時代、いつの間にか「キタロウ」のあだ名で呼ばれるようになった。「鬼」の太郎というのが気になり、「喜」と「多」の文字をあてた。

 「喜多郎」誕生とロングヘアは密接にかかわっている。今も長髪にこだわるのは、そのためだ。

 しかし、そのこだわりが、後にシンガポールで一騒動を生み出すことになろうとは…。

(安田幸弘)
 

 ■長髪で入国できず

 「これは僕の失敗じゃないんだけど」と前置きして語ってくれたのは、トレードマークの長髪にまつわるハプニング。

 1984年のこと。外務省から「国際親善音楽大使」に任命され、コンサートをするためにシンガポールへ旅立った。

 外務省職員と一緒に現地に到着し、入国手続きのゲートへ。パスポートを見せると、突然、「あなたは入国できません」と突っぱねられた。

 当時、リー・クアンユー首相の意向でシンガポールはなぜか長髪の人の入国を制限していた。事前にそれを聞いていたので髪をしばり、頭上に団子状にまとめて布で隠していたのだが…。聞けば、世界中の著名なロングヘア・ミュージシャンの“ブラックリスト”に載っているのだという。

 「僕、外務省の任命大使なんですけど」といっても、「入国は許可できません」の一点張り。係官はゲートの脇にある理容室を指さした。

 「あそこで髪を切ったら入国してもいいよ」

 うーん、と黙考する喜多郎

 「一応考えましたよ。コンサートが2日間予定されていて、初めて行く国なのにチケットは売り切れていた。期待されていましたし、僕以外はスタッフもみんな入国しちゃっていたし。ここで髪を切ればみんなに迷惑がかからないわけです。でも…」

 4、5分考え、決断した。

 「よし、帰ろう」

 もともと喜多郎の名は長髪から生まれたようなもの。「切りたくない」と、コンサートをキャンセルし、次のフライトで帰国した。成田に戻った後、香港へ行き、アジア各地の記者を集めて会見。「こんな時代に、長髪を禁じるシンガポールはおかしい」と訴えた。

 「まだ若かったし、自分の存在を主張したいっていうのがあったんでしょうね」

 それから約10年後。コンサートのため、首相が変わったシンガポールに再び向かうことに。「また入国できないっていわれたら…」などと考えながらゲートへ向かった。すると今度は、わーっと大勢の係官が集まって「サインをくれ」の連呼。トップが代わると、こうまで違うのかと思った。会場は超満員で、コンサートは大成功を収めた。(安田幸弘)
 

 ■ステレオ放送めぐり対決

 「シルクロード」のテーマ曲が映像とともに流れたのは昭和55年。飛躍のきっかけになった代表作だが、放送前の半年間、NHKのスタッフと大激論があったことは、あまり知られていない。

 「絶対にステレオで放送してください、っていうやりとりがほとんどけんかのようでした」

 当時の放送はまだモノラルが主流。シルクロードもモノラルの予定で準備が進んでいた。そのままだと「音声に音楽が負けちゃう面があるんですよ。特にナレーションが石坂浩二さんだったので、声がいいですからね」。

 従来のスタイルを踏襲するだけで、ドキュメンタリーの音楽を単なる「効果音」としか考えない局側の姿勢にも疑問を抱いていた。「それはいけないでしょうと。独立した『音楽』として成り立ってほしいという思いがありました」

 ステレオにこだわる理由は臨場感だった。「音の輪郭が出てくるし、見ている人たちのイメージも広がりますし」

 NHK側の答えはひたすら「ノー」。「でも僕としては新しいチャレンジをしたいと思っていたから、とにかくぶつかりました。駆け引きっていうか、モノラルだったらやりません、みたいなことになったかも分かりません」

 激論を繰り返して半年後、ようやく願いがかなった。「僕がいわなかったらそのままモノラルになっちゃったでしょうね」

 放送の形態だけではない。この曲にかける喜多郎の思い入れは強かった。番組は中国の話だったが、あえて中国の楽器は使わなかった。「きれいなシンセサイザーの音で、中国の西域文化を描ききれないか」「映像と音がマッチすることで、シルクロードに満ちているロマンをかき立てられないか」。生みの苦しみを乗りこえ、花開いた名曲だった。

 シルクロードには計6年携わった。ステレオ対応のテレビも普及し始めた時代の波に乗り、穏やかなメロディーは多くの人の心に刻み込まれた。

 当時、「対決」したスタッフ数人とは今でも親交を続け、手紙を交わしているという。「私の失敗というより私の成功といった方がいいのかも」。喜多郎の笑顔は優しかった。=おわり(文 安田幸弘)

                 ◇ 


 轉載自:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/070920/msc0709200846000-n1.htm

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