追蹤
あすは雨ですか
關於部落格
天馬行空的言語~ 漫天飛翔的思維~ 
  • 46061

    累積人氣

  • 1

    今日人氣

    1

    追蹤人氣

【わたしの失敗】現代美術家・村上隆さん(45)

 東京芸大には卒業する学生に自画像を制作させる伝統がある。4800点にも及ぶコレクションは、血気盛んな若者らしく挑みかかるような視線や、迷いのない真っすぐな瞳の自画像が目立つ。しかし、横を向いた村上の目は、画面を外れて迷い、どこを見ているのかうかがい知れない。

 

 「何が描きたいのかしたいのか、わからない。うろうろしている目、だったと思います」と24歳の自分を振り返る。

 幼いころからアニメや漫画が好きで絵を描き始めた。「アニメの背景描きにでもなるつもりで」東京芸大に入学。描写を学ぶため専攻は日本画へ。日本はバブル経済を迎え、先生たちは皆、羽振りが良かった。30代で家が買えるぐらい。

 「僕は貧乏に育ったので、自分も家を建てられるのではないかと思い、日本画の世界に入ろうとしました。でも、あまりに絵の本質から外れた先生たちや画商、評論家への形骸的なあいさつに重点が置かれていた体質に、『絵を描く本分とは絶対に違う!』と思った」

 かといって、何をやったらいいのか分からない。視線は惑うばかり。

                   ◇

 迷いを抱えながらも、日本画を志し進学した大学院。「絵で食っていきたい。なんとか絵描きとしてのチケットを手に入れたい」という一心で、朝から晩まで絵を描き続けた。

 しかし、日本画の社会に、どうしてもなじめなかった。2年の修了制作で首席を狙った。首席になれば、自動的に画料も上がることを知ったからだ。描きたい絵よりも、評価される絵を描こうとした。

 「首席になる絵の法則」もすでに見抜いていた。対象物を的確にとらえ、分析することができるのは、非凡さの証明だろう。首席を取った歴代の“優秀な作品”は、画面を7割と3割に分けた中心部に目線を導くように描かれていたという。

 同じ法則で、複雑な画法と画材を駆使しながら制作に没頭した。右手は腱鞘(けんしょう)炎になっていた。

                   ◇

 結果は、次席。悔しくて悔しくて、歯ぎしりして泣いた。今でも大きな挫折として、記憶に刻まれている。

 「自分の意思を折ってまで首席を取りに行ったにもかかわらず、目標を達成できませんでした。でもそこで、日本画家になって家を建てることをあきらめることができた」

 村上にとって、大学は反面教師だった。首席を取れなかった日から、日本画ではない道を歩き始める。その後、アニメや漫画などのサブカルチャーをベースにしたアートを日本文化として世界に紹介、脚光を浴びる。“芸術の核心”は大学ではなく、自ら発見した。

 今、村上は日本を代表する現代美術家の1人として知られる。もしもあのとき、日本画で首席を取っていたらという想像は、あまりしたくない。=敬称略

 文 猪谷千香

                   ◇

【プロフィル】村上隆

 むらかみ・たかし 昭和37年、東京生まれ。東京芸術大学大学院博士後期課程修了。主な個展に「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」(東京都現代美術館)。欧米で2001年から05年にかけ、「スーパーフラット」展、「ぬりえ」展、「リトルボーイ」展を開催、日本のサブカルチャーをベースにしたアートを海外に紹介、高い評価を得た。今月29日から米・ロサンゼルス現代美術館を皮切りに、世界4都市を巡回する大規模な回顧展「(C)MURAKAMI」がスタートする。

 ■受験でスランプ、記憶飛ぶ

 その3日間のことは覚えていない。記憶がきれいさっぱり、抜け落ちている。

 20歳のころ、2度目の東京芸大受験を直前にひかえた冬だった。通っていた予備校で石膏(せっこう)デッサンの練習をしていた。ところが、描いても描いても目の前にある石膏像と自分の絵が似ない。描く手は忙しく動いたが、目はうつろ。

 「先生にもう帰れ! といわれて、はっと気づいたら家に着いていました。次の日もその次の日も全く何も覚えてない。時間が全部吹っ飛んだ」。生まれて初めて襲われたスランプに、われを見失っていた。

 原因は、石膏デッサンを立体的に描き写す部分だった。漫画に親しんで育ったため「絵とは平面的なもの」という基本から抜け出せなかった。そのときは正面顔ばかり訓練させられていた。

 「石膏デッサンの横顔は輪郭で簡単に描ける。でも正面顔を描くには立体的な量感が必要。形状を造る根拠に疑問があって、自分自身の中で固定観念と衝突してしまった。しかも制作時間は12時間と短い。すごく悩みました」

 失敗は許されないという重圧は、他にもあった。すぐ下の弟が同じく東京芸大を目指していた。経済的な理由から私大受験は不可能。3日後、もう予備校を辞めようと荷物を片付けに向かった。挙動のおかしい村上に気づいた先生は「横顔でも描いていいよ」とうながしてくれた。

 解き放たれたようにさっと描けた。しかも以前よりも数段うまく、写真のように。頭ではなく、手が勝手に動いていた。なぜ、描けたのか?

 「発想の転換法を学びました。時間は脳や感情がつかさどっているもので、決して時計が作っているものではない。5分だろうが12時間だろうが、できるものはできる。できないときは時間と物事の組み立て方がシンクロしていないということ。時間と心との“距離感覚”を自覚できるようになりました」

 今、村上は世界中の美術館やギャラリーで展覧会を開き、分刻みのスケジュールをこなす。「よくスタッフの若い衆に締め切りがきついと泣きつかれるけど時間を自分で手に入れないとだめだとハッパをかけます」

 作品が間に合わないということは、あり得ない。一流の、一流たるゆえんだ。=敬称略

 文 猪谷千香

 ■プロポーズ断られ自問

 結婚しようと思った。でも、断られた。

 「本当に心の底からプロポーズしたんだろうか? 断られてから自問しました。結局、他人と家族を形成し、自分1人の責任を超えることから逃げてるんじゃないか? だから、本質を見抜かれ断られたんだ」

 独りきりで生きていく運命なんだと腹をくくった直後、今度は男から「村上さんに一生ついてゆきます」といわれてしまう。その男は「Mr.(ミスター)」という名のアーティスト。村上の一番弟子として、今でこそ人気が高く、作品は飛ぶように売れるが、当時はまだ海のものとも山のものとも知れなかった。

 「これって、もしかして結婚と同じ?」。悩みながらもMr.を雇い入れ、現代美術家としての活動を本格化させていく。

 村上は当時、後に出世作となる等身大のフィギュア作品を手がけていた。制作費用は出ていく一方。学園祭の講演やメディアへの出演をこなし、食いつないだ。

 「当時は本当に食えなかった。年が越せそうにないときがあって、学園祭でもらってきたタダ酒をパーティーで売って年を越そうとしたり…」

 テーブルはMr.と拾ってきた段ボールで作った。「金はなくてもやればできるよ!」とはしゃいでいたら、たまたまやってきた大学の同級生が、今にも崩れそうなテーブルを見て一言。「村上、お前ここまで堕(お)ちたのか」。同級生はあきれながらも5000円を恵んでくれた。家族のように苦楽を共にし、“兄弟仁義”を交わしたMr.との暮らし。どん底の貧乏すら笑い飛ばしてきた。

 村上はいまだ独身だが、“家族”は増え続けている。アーティストの発掘を目的に、平成14年から「GEISAI」というフリーマーケット形式のイベントを主催。昨年9月に10回の節目を迎えた若手の登竜門は、12月に米・マイアミへ舞台を移して開かれる。

 アーティストをプロデュースする会社「カイカイキキ」の運営も手がける。村上のもとには自然、才能が集まる。その中心にいる村上は、芸術家として希有(けう)な存在だ。

 「芸術家は歴史をふりかえって不遇でなかった時代がない。結局、アーティストはアウトローだし、ストレンジャーだし、インディペンデント。それがアーティストになってしまう人の運命。かわいそうな人種なので、お互い助け合っていかないと」=敬称略(猪谷千香

 ■フランス人と大もめ

 怒りは限界だった。2002年、パリで開かれた「ぬりえ」展。自らキュレーションを手がける展覧会の開幕まで、あと数日に迫っていた。

 ところが、現地での準備は難航する。フランス人の気質を知らなかった。「高すぎる誇り、強すぎるテリトリー意識。パリに住む日本人にいろいろケアしてもらいつつ、最後までやるしかなかった。もう顔なんか見たくないってぐらい、彼らともめた」

 毎日、たった1枚の絵を飾るにも、軋轢(あつれき)に苦しんだ。「絵は触るな。展示するのは俺(おれ)の仕事だ!」「位置は変えるな、俺が決めたんだから」。村上の怒声が響く。

 「でも、展覧会がオープンして、ものすごい好評になったらコロっと変わって笑顔で抱きついてくる。ラティーノのいい部分、悪い部分を全部見た。彼らからしても、一切のルールを変えようとする傲慢(ごうまん)な日本人に憤っていただろうし、見たこともなかったのだろう。つまりはその軋轢こそコミュニケーションだったと思う」

 西欧人は「したたかで打算的」。しかし、実力がありさえすればリスペクトしてくれる。それから、村上と彼らの長い友情が続いている。

 ぬりえ展は大成功をおさめた。日本特有のかわいいキャラクターやアニメを芸術へと昇華してみせた。今、米・ロサンゼルス現代美術館で今月29日から始まる回顧展「(c)MURAKAMI」の準備に奔走する。4都市を巡回する大規模な展覧会に注目が集まる。飛ぶ鳥を落とす勢いかと思いきや、意外なことを言い出した。

 「海外のメディアは、僕らのことを買いかぶって、良いことをいろいろと書いてくれる。そんな立派じゃないのに」。自ら設立した会社、カイカイキキで寝泊まりする日々。「僕だって、イギリスのアーティストのようにお城でも買いたいですよ」と冗談めかす。

 村上は数年前から、大きな睡蓮(すいれん)鉢でメダカを育てている。お城を買うよりも、「蓮(はす)畑を作るのが夢です」。蓮やメダカを育て、慈しむことは、どこへつながっているのだろうか。

 「東京の荒川近くで育ちました。荒川では、大きな手長エビ捕って遊んだ。睡蓮鉢は、幼少のころへのノスタルジーかもしれないですね」

 ふと、迷いなく世界を見つめる現代美術家の目が、和らいだ。=敬称略(猪谷千香
  
 
轉載自:http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/071023/art0710230351001-n1.htm

相簿設定
標籤設定
相簿狀態