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天馬行空的言語~ 漫天飛翔的思維~ 
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【わたしの失敗】タレント・桂小金治さん(81)

 終戦後に落語家になった小金治は昭和24年に二つ目に昇進した。噺(はなし)家(か)として将来を嘱望されていた。27年に映画監督の川島雄三に誘われて映画界にデビュー。俳優として大成功して、テレビ界にも活躍の場を広げた。41年からは、平日正午のワイドショー番組アフタヌーンショー」の司会者に。テレビ出演に忙殺されるようになる。

 高座に上がれない日々が続くうちに、自問しはじめた。「桂小金治」を名乗っていていいのだろうか-。申し訳ない気持ちが募った。番組が2年目を迎えたとき、「やはり返すべきだ」と決断して、師匠をたずねたのだった。

 親の心子知らず-。「名前を返します」というのは、弟子を思う師匠の気持ちを読めなかったゆえの失言だった。しかし、怒られたおかげで見守られていることに気付いた。40年も前のことなのに、このエピソードを語っているうちに、小金治の両目が見る間に真っ赤になった。「あのときは、うれしくて泣いたよ」
 
 「アフタヌーンショー」については、もうひとつ、忘れられない励ましの言葉がある。番組が始まる前のことだ。俳優の石原裕次郎と自宅で飲んでいたところに、テレビ局の担当者がたずねてきた。出演依頼はもう3度目だった。再び断ったあとで、裕次郎に話しかけた。「今、ニュースショーの司会を頼まれてるんだけど、やったことねえから、断ってんだよ」。裕次郎の反応は意外だった。

 「師匠らしくねえんじゃないの? 『物事はやってみないとわからない、できるまでがんばるのが人間の道だ』って、いつも言ってたじゃないか。意気地なし」。友の言葉は、ズシンと効いた。決心がついた。

 しかし、自信はない。「もっと苦しいことを乗り越えてから番組に出れば、できるんじゃないかと思ってね」。頭に浮かんだのが、自宅から局までの約6キロを走って通うこと。雨の日も風の日も雪の日も、出演した約8年間は走り続けた。

                   ◇

 「やるからにはいい加減な気持ちじゃだめ」。そうやって局入りする意気込みもあって、庶民の気持ちを代弁し、本気で怒りながら世相を斬(き)る姿は「怒りの小金治」の異名を取り大人気になった。

 その後司会を担当した「それは秘密です!!」の“ご対面コーナー”では、ぼろぼろ涙をこぼして「泣きの小金治」ともいわれるようになるが、お茶の間の人気者になったのは、懸命に努力を重ねた結果である。

 失敗といえば、ある雪の日、走って局に通う途中ですべってひざを強く打ち、番組を1週間休んだことがあった。名を汚さぬように真剣に取り組んだゆえの、名誉の負傷といえるだろう。「今もときどき痛むので、高座のときは何日も前から正座のけいこをするんです」。昔を振り返りながらひざをさする表情は、どこか誇らしげなのだった。=敬称略(文 堀晃和)

                   ◇

【プロフィル】桂小金治

 かつら・こきんじ 本名・田辺幹男。大正15年、東京生まれ。昭和22年、桂小文治に入門。前座名は桂小竹で、24年に二つ目に昇進し小金治を名乗る。映画やテレビで活躍し、「アフタヌーンショー」などの司会者として人気を集めた。現在は主に講演で全国を駆け回る。半生を自らつづった『江戸っ子の教訓』を今月刊行予定。
 

 ■アフレコ知らず冷や汗

 「小金治さん、そのセリフ、アフレコになりますんで」

 「ああ分かってる、分かってる、いいですよ(でも、アフレコって何?)」

 昭和28年の正月映画「学生社長」(川島雄三監督、鶴田浩二主演、松竹)の撮影現場。学生役で出演した小金治は、スクリプター(記録係)に威勢よく返事したものの、実は意味がまったく分かっていなかった。

 「知らないって言うのがイヤだから、OKって言っちゃった」

 アフレコはアフターレコーディングの略。映画などで、あとから撮影映像にあわせてセリフや音を録音することだ。売れっ子落語家だった小金治が、川島監督の「こんな私じゃなかったに」(松竹)で映画デビューしたのは前年の27年。キャリアは浅く、アフレコを知らないのも無理はなかった。

 後日、撮影所のアフレコ室に呼び出しがかかった。行くと、自分の映像が映っている。「何これ?」とたずねると、スクリプターは「あのとき言ったでしょ?」とけげんな表情。「え、そうだった?」とすっとぼけたが、肝心のセリフをまったく覚えていなかった。

 「インド語のガイド役の場面で、そのセリフはインド語。スクリプターも控えてないって言われてね」

 台本にない即興的なセリフだった。冷や汗をかいたが、メモに書いて辞書に貼(は)り付けていたことを思いだした。小道具室にあわててすっ飛んでいくと、幸いその辞書が本棚にあったという。

 しかし、ほっとしたのもつかの間。今度は、メモを見ながらあわせようとすると、早口のセリフなので映像に追いつかない。「それで『全部覚えてこい』って言われて、外で何度もセリフを繰り返したんだよ」

 そんなエピソードを語りながら、セリフを暗唱してくれた。「イスメンデルメン…ベンテンサマヘバコ」。難解な言葉がすらすらと出てくる。ニヤッと笑って「そのときそれだけやったから今でも覚えてるんだよ」。

 この話には後日談がある。東京都内にできた語学学校に出かけていってこのセリフを言ったところ…。「『全然わかりません』って。川島雄三さんが作ったインド語だったんだよ」

=敬称略(堀晃和)

 ■「苦節3年」のはずが「7年」

 「客席では『あっ、師匠、間違えた』って言ってたらしいよ」

 映画俳優、テレビ司会者…と、さまざまな分野に挑戦し、近年はもっぱら講演で全国を駆け回る。しかし、落語が好きな気持ちに変わりはない。還暦や古希などの節目節目には高座に上ってきた。

 その高座で、手痛い失態を演じてしまったのは平成15年10月、国立演芸場(東京)で行われた「桂小金治喜寿独演会」での一席。この日は「三方一両損」で始めて芸談を挟み、「芝浜」で締める段取りだった。

 「芝浜」は、飲んだくれの魚屋が芝(東京都港区)の浜辺で大金が入った財布を拾う人情噺。魚屋は当分遊んで暮らせると思い大騒ぎをして寝るが、次の日には「財布なんて知らない」という女房の話を信じて、「夢だった」とあきらめ、性根を入れ替えて懸命に働く。そして、商売が軌道にのった3年目の大みそかに、女房から「じつは…」と真実を聞かされて-というのがあらすじだ。

 この「3年」を「7年」とやってしまった。「高座は7年ぶりで、頭に『7年』というのがあって、つい言っちゃったんだよ」。有名な演目だけに、客の多くは首をかしげたはずだ。間の悪いことに、文化庁の芸術祭参加公演で、客席には審査員らの厳しい目も。

 自分でも、言ったとたんに間違いを自覚した。内心、ヒヤッとしたが、場数と度胸がものをいう。そのまま顔色も変えずに、サゲまでやり通した。女房にねぎらいの酒を勧められた魚屋「よそう、また夢になるといけねぇ」-。苦節3年が7年になった分、話に重みが加わったかも。

 落語は、テレビ出演が忙しくなり、寄席に出なくなってからも、自宅で練習していた。これまでに、高座で失敗らしい失敗はしていなかったというが、こともあろうに喜寿の記念の晴れ舞台での失言は、「弘法にも筆の誤り」というべきか。

 「すんじゃうと、ケロッと忘れるほうなの。ベストを尽くしたんだからくよくよしない。たまの間違いがあっても、人間だから仕方がない。この次間違えないようにしようって、自分にいい聞かせるんだよ。後悔するぐらいだったら稽古(けいこ)する」。今も高座に上れば、歯切れのいい落語をファンに聞かせている。=敬称略(堀晃和)

 ■「辛抱できないのは意気地なし」

 「草笛って聞いたことある?」。小金治はそう言うと、垣根から取ってきたという葉っぱを口にあてて、「故郷」(岡野貞一作曲)を吹き始めた。郷愁を誘うメロディーがあたりに響く。この曲にまつわる、ほろ苦い思い出があるのだという。

 10歳のころ、友達の家で覚えたハーモニカが欲しくて父親にねだった。父親は「なんで?」と一言。「いい音がするからだよ」とせがむと、いきなり神棚の榊(さかき)の葉を1枚むしって、目の前に突き出した。「いい音ならこれで出せ」

 「鳴るわけないじゃないか」と不満を口にすると、父親は葉を唇に当て、すばらしい音色を奏で始めた。「故郷」だった。「こんな葉っぱでこんないい音がするんだとびっくりしてね」

 あくる日から、学校の行き帰りに垣根の葉っぱを取って練習した。しかし、いくらやっても鳴らない。わずか3日で止めてしまった。ある日、父親が成果を聞いてきた。「鳴らねえから止めたよ」とふてくされて言うと、こう言われた。

 「努力まではみんなするんだよ。そこで止めたらドングリの背比べ。一歩抜きんでるためには努力の上に辛抱という棒を立てるんだ。この棒に花が咲くんだよ。辛抱できないやつは意気地なしだ。やるからには続けろ」

 一言一言が胸に刺さった。殴られるよりもショックだった。中途半端な自分が恥ずかしくなった。

 悔しくて、それから毎日あきらめずに吹き続けた。行き帰りだけではなく、学校の校庭のすみや、自宅でも練習を続けた。すると、10日ほどたったころ、突然「ぴー」と音が鳴った。

 「うれしかったなあ。おやじがすごくほめてくれてねえ」。もっとうれしかったのが、翌朝目を覚ますと、枕元に新聞紙に包まれたハーモニカが置いてあったことだ。台所の母親に伝えると、こんな言葉が返ってきた。「3日も前に買ってあったよ」

 思わず「なんで?」と尋ねると、母親は「父ちゃんが言ってたよ。『あの子はきっと吹ける』って」。このときは、涙が止まらなかったという。

 「人に信じられるってこんなにうれしいことなんだ。人に信じられる人間になろうと心に決めたのは、このときからなんだよ」=敬称略

 文・堀晃和


轉載自:http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/071113/tnr0711130357004-n1.htm

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